休み山って御存知ですか?

祇園祭の山鉾でありながら、残念なことに巡行に参加できない山鉾があるのを御存知でしょうか?これらは「休み山」と呼ばれ、今年も町内だけで祗園祭りを祝っています。


京都は幾度の大火や戦火に見舞われ、数々の文化財が焼失してきました。山鉾も例外ではありません。特に幕末の騒乱、元冶元年(1864年)の禁門の変では多くの山鉾がその被害を受けました。復興した山鉾が多い中、「大船鉾」、「鷹山」、「布袋山」の三基は、今も資金面や人出不足などによる各鉾町の諸事情により参加できないのです。

京都に住んでいながらこんな話を聞いたのは初めてだったので、スゴク興味を持った僕はその中の大船鉾の鉾町に行ってみました

大船鉾(おおふなぼこ)(新町通り四条下ル)

現存する船鉾は、神功皇后の海外遠征出発時の姿を模した「出陣の船鉾」と呼ばれたのに対して、この大船鉾は勝利を収め帰陣する際の姿を模した「凱旋の船鉾」と呼ばれ、後祭りのしんがりをつとめていました。元冶元年の大火で船形の木組みや車輪などが焼失。織物類や2mを越す大金幣、舵などの他、御神体、 神功皇后の御神面が残りました。

平成8年(1996年)に囃子方が復活し、16日まで京都友禅ビルで演奏されています。現在囃子方は30名ほどおられるそうですが、少なくともあと10〜20名くらい増やしたいと考えておられます。

入り口でちまきを買いつつ、鉾町のお母さんと話こんでしまった僕にも囃子方の勧誘をされてました。『笛か鐘か太鼓は出来ますか〜?』って、お母さん、、、普通の人は小学校の時の縦笛くらいしか出来ひんって…。

でも昔から囃子方に憧れていた僕には非常に魅力的は話でした。難を言えば、巡行当日は殆ど平日やから、仕事を休まない限り復興しても巡行に参加できないってコトかな??(笑)

大船鉾の紹介のHPはコチラ→http://www.biwa.ne.jp/~jimmie-k/hunehoko.html

他の休み山についても調べてみましたので、宜しければ参考にして下さい。

鷹山 (室町通り三条西入ル)

応仁の乱以前から巡行に参加したとの記録が残っています。後祭りに出た大きな曳き山で、車輪を長刀鉾と共用していたといわれています。この山も元冶元年の大火でほとんどの物を焼失しましたが、「鷹匠(たかじょう)」など三体の御神体と皆川月華より寄贈された見送りが15、16日の午後5時より町内会所で飾られます。

布袋山 (室町通り蛸薬師西入ル)

天明8年(1788年)の京都の大火で布袋尊と二体の童子像のみを残して焼失してしまいました。鉾町内に新しく完成したマンションの1階に設けられたショーウィンドウに御神体が飾られ、14日から拝観する事が出来ます。

一本1000円(普通は500円)もするちまきが飛ぶように売れる鉾もあれば、こういう地元の方の御尽力で復興しようと頑張っている鉾もあるんですね。万一僕が祇園祭に参加するなら、間違いなく後者の方に参加したいです。。

頑張ろう!大船鉾!来年もちまきを買いに行くぞ!

ご質問はコチラからosanpo_monkey_r@yahoo.co.jp

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