祗園祭でコンチキチン

2004年7月14日(水)

♪コンコンチキチン、コンチキチン〜〜。コンコンチキチキ、コンチキチ〜ン♪

この時期になると四条通り界隈では、この祗園囃子が何処からともなく聞こえてきます。もちろんテープに録音された物がほとんどですが、お母んの実家が鉾町( ほこちょう。鉾を管理運営する町内)の近くにあったため、小さい頃から毎年祇園祭を見てきた僕にとっては、例えテープでもこのお囃子を聞くとワクワクしてきます。

TV等では長刀鉾(なぎなたぼこ。山鉾巡行の先頭にあり、最も有名な鉾)や月鉾のある四条通りが良く映されていますが、船鉾(ふねぼこ)や蟷螂山(とうろうやま)などの味わい深い鉾は、道幅5mくらいの道にあったりしますから、宵山(よいやま。 山鉾巡行の前夜)や宵々山(よいよいやま。山鉾巡行の前々夜)は、それはもう凄まじい混雑になりますので最近は億劫になりましたが、今年はHPにもUPしようと頑張ってS君とアチコチ回ってみました!!(モンキーRは最終調整の為 今回はお休みです…。)

とりあえず、長刀鉾です。いつもこの鉾ばっかりがクローズアップされていていますから、とりたてて説明はしなくても良いでしょう。。 とは言え、毎年の巡行の先頭を進み、山鉾の中で最も古くに創建された鉾で、その時期は応仁の乱以前の嘉吉元年(1441)ではないかと云われています。

長刀鉾と並んで有名なのが、この月鉾

なんとなく気品が漂う気がしますが、それもそのはず。その工芸装飾は山鉾の中でも屈指のもので、左甚五郎作と伝えられる彫刻、円山応挙の屋根裏絵画など江戸後期の工芸装飾の充実に力を注ぎ、『動く美術館』と称されます。

32基ある山鉾の中で、僕が一番好きな鉾がこの『船鉾』(ふねぼこ)です。他の鉾と全く異なるシルエットと船首の『鷁(げき)』という瑞鳥、後部に 取り付けられた大舵がチャームポイントです。

この船鉾の御神体は神功(じんぐう)皇后の人形です。その人形に付けられる面は二つあり、巡行時は江戸時代に作られた写し面(今で云うコピー) を付け、本面(室町時代の作とされる)は当番の役員(神事係)が携えて船鉾に乗ります。この二つの面の無事を確認する『神面改め』と云う行事が、毎年、船鉾の神事始めの「吉符入り」の日に行われるのが習わしとなっています。(ちなみに今年は7月3日でした。)

これは僕の従兄弟が乗ってる北観音山(きたかんのんやま)。当初は屋根が無かったのですが、寛政から天保にかけて現在のような形になったそうです。応仁の乱の頃は後述の南観音山と隔年交代で巡行していましたが、明治12年に南観音山が復興してからは、同時巡行が行われています。
北観音山は南観音山と同様に、見た目は鉾と変わらない曳き山(ひきやま)ですが、鉾は真木に支えられた鉾頭があり、山は真木の代わりに山を表す松(真松)が立てられます。

お囃子の休憩時間には殆どの鉾に乗せてもらえます(有料)。 一部、女性が乗れない鉾もありますが、祇園祭に来られたらゼヒ乗ってみて下さい。手すりがないので下を見たら結構恐いです。。

これは北観音山の隣町の南観音山(みなみかんのんやま)。♪ロウソク一本献じられましょ、ロウソク一本どうですか〜〜♪ここに来ると町内の子供 達がロウソクを売る童歌(わらべうた)が聞こえてきます。毎年この童歌を聴くとロウソクが買いたくなります(笑)。。代金はお志しで。

巡行に先立って毎年7月2日には、『クジ取り式』と呼ばれる山鉾巡行の順番をクジによって決定する行事がありますが、山鉾32基のうち、長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾北観音山
橋弁慶山、南観音山の8基は、毎年順番が決まっているのでクジを取りません。俗に云う『クジ取らず』です。前述した通り長刀鉾が巡行の先頭。この南観音山がしんがりを務めます。

今年は合計20基ほど観て回りましたが、不思議とあんまり疲れは感じませんでした。やっぱりお囃子を聞いているとワクワクしてきます。チャンスがあればお囃子にも参加してみたいものです。

京都の夏は祗園祭り
ですが、宵々々山(よいよいよいやま)ですら19万人(京都新聞発表)の人並みを見たら尻込みしてしまいます。それでも、きっと来年も行く。だって祗園祭りだから。。

(参考までに、、宵々山は32万人、宵山は45万人の人出でした。)

みなさんの所の夏祭りはいかがですか?

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